ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

ついておいで。スキゾ・キッズたちよ。

tinpan19732007-02-24

1984年、晴れ渡った五月の
ある日の午後だった。
大学の仲間たちと、クルマで綱島街道
都内へ向かって走り出した。


カー・オーディオから
ギターのカッティングが印象的なあのイントロが流れて来た。


「『FOR YOU』? いいね。今日の天気に合ってる」
「ちがうって。『COME ALONG Ⅱ』っていうベストみたいのが出たの。
 貸しレコで借りたばっか」
たしかに、「SPRAKLE」のエンディングに、小林克也氏のナレーションが
重なって、曲は「MUSIC BOOK」でなく、「LOVE TALKIN’」へ。

〔気になって今調べてみたところ、
 1曲目「FUNKY FLUSHIN!」ですね。2曲目が「SILENT SCREAMER」。
 「SPRAKLE」は後半でした。曖昧な記憶ですみません〕


DJ形式で各曲をつなげるアルバムというのは、
日本では大滝詠一氏『GO GO NIAGARA!』あたりが先駆けか。
前日amed-recさんにコメントいただいた
epo『JOEPO』もそんな一枚だろうし、竹内まりやさんも
一枚目や三枚目のアルバムのシングル発売曲の前には
♪M・A・R・I・Y・A MARIYA’S HIT PARADE〜
というサウンド・ロゴが流れる(誰の声だろう?)


この種のDJ形式のアルバムで、私にとってのベストといえば、
山下達郎『COME ALONG Ⅱ』のような気がする。
「永遠のフルムーン」「FUNKY FLUSHIN!」等の曲とは、
このアルバムが出会いだったはず。
84年初夏にこのアルバムで出会ってから、各曲が収録されている
オリジナル・アルバムを遡って聴くようになったと思う。たしか。
吉田美奈子コーラス参加曲が多くチョイスされているのも、
このアルバムが好印象の理由かも知れない。


といいつつも、当時は、
「ケッ! またベストかよ。乱発しやがって」
という思いも強かった(すみません。まだ二十歳の子供だったもので)。


(1982年に『GREATEST HITS OF TATSURO YAMASHITA』が出ていた。
 83年に達郎氏はMOONレコードへ移籍されたため、
 前所属のRCA/AIRが毎年のごとく編集盤を出されていたのですね。
 たしか。時代背景として)


だから、このアルバム、買うのはもちろん、借りることもしなかった。
カセットも残っていない。収録曲も微かな記憶を辿って書いている。


ただ、このアルバムを初めて聴きながら走った
五月のあの日の温度や湿度や、空の色、陽射しの強さ、
ラコステIZODのポロシャツを着ていたこと、
その後某新聞社の会議室に数大学の学生が集まったこと
その場で僕は恐ろしく悲しいほどノー天気な発言をしたことなどは、
しっかりと覚えている。