ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

若き日の、湯気の向こうの、生意気と望楼。

tinpan19732006-12-08

11月は“ON”の国だった。
12月は“温”の国にしようか。
温もり、温かさ…などをテーマに
今月は記してみようと思う。


あれは、80年代の終わり。1989年だったはず。
当時、私が勤務していた会社の、
同じ中途入社で年齢はあちらが上、入社は少し私が先
という関係の方に、屋台のおでん屋に連れて行っていただいた。


新宿から私鉄に乗ってすぐ、急行等が止まる主要駅のほど近くに
その屋台はあった。おでんが美味しかった。具が大きかった。
スーツ姿で、屋台で、熱燗で一杯。という行為もシブイと思った。
そのお店には何度か通った。


常連客に、当時、大貫妙子さんやepoさんが所属されていた
マネジメント会社の方が二人いらした。
すぐに打ち解け(たぶん、こちらの思いが強かったからだろう)、
いろいろな話をするようになった(こちらが一方的に話したのだろう)。


「大貫さんの曲で好きなのは何ですか?」と私。
「やっぱり『突然の贈りもの』とか『新しいシャツ』とか…」とあちらの方。
あの頃、私は26歳。とにかく人並みがイヤだった。コワかった。ツラかった。
人並みの思考、仕事、生活…。すべてを嫌悪しながらも仕事という面では
何をしていいかわからず、すでに卒業して3つ目の会社で、
不安や不満を感じつつもとにかく毎日会社に行くしかなかった。
その辺りの焦燥が、オフタイムのいろんな瞬間に表出した。


「誰に聞いても、判で押したように、『突然の贈りもの』『新しいシャツ』…。
 たしかにいい曲だけど、ツマンナイ!」
「じゃあ、あなたが好きなのは?」
「『若き日の望楼』ですよ! メロディーもコードも新鮮で、
 あんなカッコいいバラード、1980年時点で聴いたことがなかった」
などと、若気の至り、生意気ざかりの私の話に、よくつきあってもらった。
epoさんの当時の元気ハツラツ路線の限界についても、
 エラソーにいっぱしの講釈をたれたことがあったと思う。恥ずかしい)


それから2年後の1991年だったと思う。渋谷NHKホールで
大貫さんのアコースティック・コンサートが開催された。
本当に久々に「若き日の望楼」を聴くことができた。
「しばらく恥ずかしくて歌う気になれなかった曲ですが…」
と2003年に発売されたベスト盤『LIBRARY』のライナーノーツにも
記されていることとほぼ同内容のMCとともに歌ってくれた。


あの時の、あの屋台のおでん屋さんでの、ボクの力説が通じたのだ!
と、今でも、秘かに、思っている。


12月20日、この曲が収録されたアルバム『Romantique』が、
リマスター、ボーナス・トラック、本人ライナー付で再発されるそうだ。
特典内容が今ひとつ明らかになっていないのが不満だが、予約した。
初CD化の、それこそ1989年ごろ購入したので、音レベルが今ひとつ
低くてリマスターしてほしいとずっと思っていた作品だったので。