ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

晩秋の晴れた日のウォーキング・ミュージック。

tinpan19732006-11-27

数年前、勤務先が移転して
通勤路線が変わった。
この時期、電車の中から見える
ある紅葉の風景に目を奪われるようになった。


かなり面積の大きな森林で、
公園なのか、私有地なのか、
気になって気になって仕方なくなった。


昨年、ついに途中下車して、
会社に出社時間が遅れると連絡して、
この森を探検いや散策した。


大学の敷地だった。
敷地の一部が生活道路にもなっていて、
一般人もおとがめなしに出入りできる。
この開かれた感覚が、大学の器量を表している気もする。


イチョウ、カエデ…。圧倒的なスケールで目の前に広がる。
若葉の、伸びゆくスピリットと緑色のグラデーションも好きだけれど、
紅葉の、熟れゆくメロウネスと暖色のグラデーションも趣きがある。


奥まったところには、立ち入り禁止の池があった。
その手ごろな秘境っぽさが、子供のころ自分だけの秘密基地を作って
遊んだ雑木林を思い出させた。


今年は、この前の土曜日の午前中に、訪れた。
陽が高い時間でなくてはならない。陽が傾く夕方では寂しくなってしまう。
木漏れ陽が、地面に光と影のデリケートな絵を描く。


地面に沿って視線を先にやると、大学生が坂道を使って
レーニングしている。たぶん、スキー部か同好会の陸トレだろう。
あの頃の自分がいる? いや、いないよ。


さらに坂を上ると、テニス・コートがあった。
何かの大会らしい。老若男女入り乱れ多人数が集っている。
「晴天にめぐまれた今日、都内○○では××テニス大会が行われ…」
TVのローカル・ニュースで紹介されそうな風景だ。


ウォーキングの醍醐味、それは歩きながら、
目の前に広がる風景を見ながら、
少年のころにも、大学生のあのころにも、
自由自在にタイム・トラベルできること。
そして、現在を客観的に感じることができること。

ヘッドフォン・ステレオからは、キリンジの1stアルバムを流していた。
アルバム全体の乾いたカンジが11月の晴れた午前中にピッタリだった。
先日のコンサートでも演奏された「ニュータウン」など、
とくにハマるシチュエーションだった。


『PAPER DRIVER’S MUSIC』。
一枚目のタイトルからして、キリンジは自虐的ともいえる毒を放っていたんですね。
アンチ・ドライヴ・ミュージックなのかな?
とりあえず、晩秋のウォーキング・ミュージックには
モア・ベター(正しくはMuch Better)でした。