ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

静かなペシミズム。

tinpan19732006-10-31

10月はたそがれの国』を読み返している。
往復の通勤電車の中、いや、帰りは疲れ果て
小さい字を読む気になれず、朝、新聞に目を通した後の
僅かな時間だけなので、なかなか進まないのだが…。


初めて読んだのは、1988年の10月。
山下達郎さんが『僕の中の少年』を発売された直後。
このアルバムのテーマは“少年性”、ブラッドベリの小説世界にも通じる
というような発言をメディアでされていて、読んでみようと思った。
田中康夫氏『なんとなく、クリスタル』の主人公が読んでいたりして、
ブラッドベリの名前自体は80年代初頭には知覚していたけれど。


10月はたそがれの国』、あれ、こんな内容だったっけ…
というのが、読み返して思う印象。カンペキに中味は忘れていたらしい。
徐々に、徐々に、引き込まれている。短編集なのだが、
マチスのポーカー・チップの目」など、アートやカルチャーに含蓄のある人たちの
内面を巧みに描いている気がして、このネガティヴな側面は、
ビート・セクスアリスの一員として持ち合わせたくないなと思う。


『僕の中の少年』は、「マーマレード・グッバイ」「僕の中の少年」など
アルバム後半の曲が中秋〜晩秋のこの時期にベスト・マッチな気がして好きだ。
それから、ラストを飾る「蒼茫」。


石川達三氏にたしか同タイトルの小説があったような気がするが、
地に足の着いた人びとの暮らしほどかけがえのないものはない。
当時跋扈していた(というか昔も今も)文化人と称される人びとの
危うさや虚しさを暗に湛えた“反文化人音楽”。
最後の「ラ・ラ・ラ〜」というスキャットは、桑田圭祐・原由子山下達郎竹内まりや
両夫妻によるもの。坂本龍一矢野顕子のお二方の参加も予定されていたらしい。


“静かなペシミズム”という発言も、この当時達郎氏はされていた。
声高に悲嘆や悲観を叫ぶのでなく、漂う、滲み出る、諦観や達観…。


というニュアンスを感じました。
KumoQさんの映像「永遠へのリミット」。
http://d.hatena.ne.jp/kumoQ/20061029#c1162212556
俗っぽい三単語を羅列して結婚できない男を描いた詞と、
煮え切らないどっちつかずの気持ちをフレンチ・ボサノヴァに乗せた曲、
そしてこの浮遊感、無常観あふれる映像。
全貌が明らかになるまで、あと僅か…。


と、最後は、ちょっと、手前味噌。