文明開化の音がする?
このアルバムも、30年。
山下達郎『Circus Town』。
1976年10月25日発売だから、
あと10日ほどで30周年だが、
月曜日でバタついて
書けなくなる気がするから、
今のうちに記しておこう。
チャーリー・カレロ氏にプロデュースを依頼して
N.Y.でレコーディングしてしまったこと。
達郎氏のソロデビュー・アルバムの最大の特徴は、これだと思う。
シュガー・ベイブ時代、頭の中で音は鳴っているのに、
それを実際に表現できない(と感じていたと思われる)。
その音をアウトプットするには、自分が好きだった音楽を作った人に
プロデュースしてもらえばいい。という、シンプルにして確かな発想。
それを実現してしまったところが、達郎氏とそのスタッフの方々の
凄さだと思う。
いろんな障害や困難があっただろう。1ドル=360円の時代とは
さすがにもう違うはずだが、モントリオール五輪の年だから
まだ変動相場制にはなっていないと思う。
(調べればいいのに調べない。インターネットのすぐわかるところが、
最近キライになっている)
そんな時代に、ニッポンの音楽の変革を志す若人たちが海を渡り、
音楽にもおカネにもうるさい本場の音楽家たちとアルバムを作り上げる。
幕末〜明治維新の歴史小説のようだ。
N.Y.に到着したその日、食事をとろうと外出すると、
道の向かいで銃の打ち合いをやっていたこと。
それを見た達郎さんが、同行した吉田美奈子さんの後ろに隠れた
(出典:1995年『BRIDGE』ロッキンオン社/達郎×美奈子対談)
という微笑ましいエピソードや、アルバム一枚N.Y.で制作できる
予算はなく、アナログ盤B面に当たる「ラスト・ステップ」以降は
L.A.で制作したこと。そこで起用したミュージシャンの演奏が
今ひとつで困っていたところ、奇跡が起きたこと。
それから、チャーリー・カレロ氏の有名な
“They were famous in 1969.”発言。
「今の音で勝負しなければいけない」と達郎氏は思い、
持ち帰りを許されたカレロ氏のアレンジ譜は最高の教科書となったに
ちがいない(ニッポンの音楽界にとっても)。
以上、なぜか勝海舟や感臨丸ご一行のような気分で
達郎氏の海外レコーディングを描いてしまった。
実際、私は、メディア等を通じて知り得た
達郎氏やティン・パン・アレー系の方々の音楽遍歴に、
歴史小説などを読んで得たものと同様の
処世術や人生訓を感じ取っているのだと思う。たぶん。
その意味で、坂本龍一が坂本竜馬で、細野晴臣が吉田松陰で、
松本隆が中原中也で、荒井由実が与謝野晶子だったりするのかも知れない。
そんな遊びもできるな。老後の楽しみにしょう。