ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

スガシカオと桐野夏生。

tinpan19732006-10-03

スガシカオさんについて
一度書いてみたかった。
今日はトライしてみよう。


発売された新譜には、
いくつかの新境地が感じられて
面白かったしホッとしたのだけれど、
(これについても近々記そう)
二作前のアルバムを聴いたときは、
ちょっと心配だった。
(一作前『TIME』は未聴です)


『SMILE』、2003年5月に発売されているが、私が聴いたのはこの8月。
苦しんでいるのかな? マンネリズムに陥っているのかな?
というのが率直な印象だった。
サウント・プロデュサー森俊之さんとの共同作業も。
背伸びをしない等身大ファンクのようなサウンドが新鮮だったけれど、
曲のパターンももう出揃っていて、その再生産しかないのかな…
と感じた。


もっと気になったのが、詞について。
決してカネ持ちだったりカッコ良かったりしない、
市井のオトコの日常を、情けなさまで含めてストレートに描いた
詞世界がこの人ならでの持ち味だと思っていたけれど、
このアルバムではかなり手詰まりを感じた。


優等生をメチャクチャに貶めてみたいとする妄想ソングや、
友達の弟を好きになってしまうインモラル・ソング。
クリエイティヴというよりは、表現としての負のパワーを感じた。


負のパワー。その分野である程度の名声を得た人が、
手詰まりになるとすがってしまう力。犯してしまう行為。
表現の幅が広がったように見えて、実は
クリエイターの寿命を短くするよう作用してしまう。


作家の桐野夏生さんの近作に、同様のものを感じる。
東電OL事件をモチーフにしたと思われる『グロテスク』あたりでも
感じたけれど、探偵ミロのシリーズ完結作『ダーク』では
負のパワーが全開。人間のネガティヴな面が
ここまで強く打ち出されてしまっては、読むほうはたまったものではない。


桐野夏生作品、ほとんど読んでいたりするのだが、
これ以降読むのをやめている。


(スガさんと桐野さん、そういえば作品タイトルのシンプルさも
 似ている気がする。単語ひとつが多い。単なる余談だが…)


長く作りつづける。手詰まりにもマンネリにも陥るだろう。
私がこのWeblogで題材にさせていただいている
ティン・パン・アレー系のアーティストたちは、
その乗り超え方や対処の仕方にも、一日の長を感じる。