ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

フリッパーズ特集をヨコシマに読む。

tinpan19732006-08-23

ミュージック・マガジン』9月号は
フリッパーズ・ギター特集だった。


先日記した通り、私はフリッパーズを聴くだけの
齢と耳を持ち得ていなかったため、彼らの音楽をきちんと
聴いていないのだが、この特集は読み物として面白く、
90年以降の時代を読み解くカギが隠されている
ように思えて、購入した。


いちばん印象に残ったのが、雑誌『OLIVE』を使って
プロモーションをした云々の記述。


90年以降にアニエスbが、横縞ボーダー・シャツが、また元気になったな
と当時漫然と思っていたのだが、フリッパーズが絡んでいたんですな。


アニエスbは、たしか1984年に日本上陸。
当時流行していた日本のコム・デ・ギャルソンやワイズとは違う、
本場パリの、でもフォーブル・サントノーレにある老舗ブランドとも違う
レ・アール地区にある若々しさに溢れた新進気鋭のブランド。
そんなイメージで日本に入ってきた。
『OLIVE』と同じマガジンハウスの雑誌『POPEYE』で、
私はアニエスbを知った。


当時のクレプスキュール・レーベルの音楽と、
アニエスbは印象が近かった。
どちらも控えめで、わかる人にしかわからない、静かな過激さを称えていた。


クレプスキュールは、たしかベルギーのレーベルだけれど、
レーベル名はフランス語で「黄昏」という意味で、
当時大学生だった私に刺さった言葉だった。
1985年に六本木レヴ・ジャポネスクという
ディスコ(まだクラブとは言わなかった)でダンス・パーティを
催した際(何てことはない大学のサークル活動の資金集めの手段です)、
タイトルを「ル・クレプスキュール」(冠詞を付けたところがミソ)に
したくらい時代を表現していると思った。


このレーベルには、ミカドという大層な名前のユニットが存在した。
ミカドは日本ではノン・スタンダード・レーベルから発売された。
(おっと、この辺りでもフリッパーズと接点が…)


フリッパーズのPVで、パリのビルの屋上で歌うシーンがあったと思うけど、
あれはアニエスb本社の上だったらしい。この辺りのこだわりが、
音楽はもちろん、アートとして、時代の象徴として、
フリッパーズを伝説たらしめたのだろう。


それにしても、3年ちょっと、
4年活動しないのがカギなのかな?
はつぴぃえんど(はっぴいえんど)もそうだけれど、
音楽グループが伝説になるには…。