ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

同時代に復学しよう。

tinpan19732006-07-27

過去は復讐するんだなと思う。


フリッパーズ・ギターを初めて知ったのは、
1990年の始め。萩原健太氏が司会をされていた
TBSの深夜番組でPVがオンエアされたとき。


音を一聴しただけでタダモノじゃないカンジがした。
メンバーはサラブレットで、あの小沢征爾氏の血縁
だったりするらしい等の噂がすぐに飛び込んで来た。


ただ、ちゃんと聴いてみようとは思わなかった。
僕には、マブしすぎた。若すぎた。


当時26歳の僕は、90年代突入を期にコピーライターになることを決心し、
それまで勤めていた会社を辞めアルバイトと養成講座に通う日々。
育ちの良いお坊ちゃんたちが紡ぎ出すサウンドと、
昨日まで変声期だったようなヴォーカルに、共感を覚えるのは難しかった。


それから6年ほど後、コピーライターとして数社を経て
今の会社にもぐり込んだ。入社してすぐクリエイティブの若い輩何人かで
呑みに行く機会があった。何軒目かにカラオケに流れた。
僕より5歳は年下のアート・ディレクターが、
フリッパーズ・ギターを歌った。その年代の人間はとても盛り上がっていた。
共感と信頼が広がるのを感じた。僕は、門外漢だった。被害者だった。


ここ一年以内に知ったことなのだが、フリッパーズのプロデューサーは、
80年前後の竹内まりやさんや大貫妙子さんをプロデュースされた方らしい。


その昔、僕は加害者だった。


『ヴァラエティ』いや『リクエスト』以降にまりやさんを知って
“「駅」がサイコー!”と言ってらした10歳くらい年上の方に、
“結婚前のアルバムの方がゼンゼンいい”
“アルバム全曲、作詞・作曲されるとツライ”
などと冷たくエラそうに言い放ったものだ。


それから、僕が学生時代を過ごした80年代半ば。
当時の売上が示す通り、周りにユーミン・ファン、タツロー・ファンは
多かった。それに比べて大貫さんファンは少なかった。大貫さんを
どれだけ知っているかを、その人の感受性を計るバロメーターにしたものだ。


一方的で一元的な感性の差別化ゲームだった。
80年代は加害者で、90年代は被害者だった。


間もなく、フリッパーズ・ギターのアルバムが再発されるらしい。
これを機に聴いてみようかなとちょっと思う。


実はこの7月、いちばん聴いたのはキリンジだったりする。
このWeblogを通じて知り合った方々に教えていただいて、
聴いてみたらスバラシくて、中古屋さんやamazonでコツコツ揃えている。


80年ごろ、まりやさんや大貫さんを通じて入学して、
90年ごろ、フリッパーズ・ギターで卒業、いや退学した。
00年代のいま、キリンジを通じて復学したような気にちょっとなっている。
ニッポンの同時代音楽。フリッパーズ・ギターは必修課目ですよね。きっと。