村上春樹がスガシカオを好きな理由。
半年来の疑問が解決した気がする。
『意味がなければスイングはない』。
村上春樹氏はなぜ、スガシカオ氏を評価するか?
理由は、“パスタ”だったのだ。
スガシカオ氏について、しばらく(たぶん2〜3年)前、
友人と話したことがある。私は「黄金の月」を聴いたばかりで
(発売からはかなり月日は経ってました)、特に詩について
かなり積極的な評価をしていたが、友人は言った。
「結局、この人の詩って、
“ボクはパスタを茹でた”とかそういう世界なんだよな」。
村上春樹氏の小説については、私がここで記すまでもなく、
パスタは茹でるし、サンドウィッチは作るし、オムレツは焼くし、
80年代前半まではお洒落だったであろう横文字料理を主人公がよく作る。
(決して、肉じゃがは作らない)
読んでいて主人公のカロリー過多が心配になるくらい、
小説の中に食事シーンが頻繁に登場する。
昔のTVのホームドラマのお茶の間シーンが、
ちょっと形を変えただけ(本質は変わらない)。
家族そろって…が一人(もしくは二人)になって、
料理がちょっと洋風になって、“ボク”(スガ氏の歌と村上氏の小説の主人公)は
ちょっと問題を抱えている。世間的には大したことじゃないけれど、
ボクにとっては切実な問題だ。
ボクは、世の中のいろんな状況から背を向ける。
逃避する。エスケープする。
モラトリアム、永遠のボクちゃん症候群。
そんなボクの歌を作ってみたかった。
パスタは出てこないけれど。
非婚時代の、永遠のモラトリアム少年の歌を…。
その名も“永遠へのリミット。”
明日、朝、読み返して、恥ずかしくなかったら、
記そう(もう酔っ払い書き込みはしません)。
ところで、近々、村上春樹氏は、
ノーベル文学賞、本当に受賞しそうだ。
そうなったら、教授がオスカーを獲ったときと同じくらいウレシイ。
受賞すること自体が、既存の価値への強烈なアイロニーになると思うから。