ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

オンガクは、国語と美術の先生でもあった。

tinpan19732006-05-13

宇多田ヒカルさんの新譜が、
配信のみで発売されるらしい。


オリコンはこの秋から
配信の週間チャートを発表するらしい。


それから、知人夫婦の話。私とほぼ同年齢
60年代前半生まれが所有する大量の音楽CDを、
70年代前半生まれのパートナーが、
すべてリッピングして音楽データ化して、
メディアやパッケージは処分しよう、
そうすれば部屋が片付くと(半分冗談で)提案したらしい。


00年代半ばらしい現象だ。
(巷では「ゼロ年代」と表記するのが一般的らしいけれど、
私は60年代、70年代、80年代、90年代への愛情と敬意を忘れず、
これらの年代との比較対照をいつも頭の隅で考えていたいので、
「00年代」と記すことにしています)


音楽がパッケージ・メディアでなく、データとして流通する日は
間違いなくやってくるのだろう。時代の流れには従うし、
その流れの中で楽しめばいい。「音楽=音を楽しむ」なんだから。


一方で、私のように言葉に興味がある人間は、どうすればいいんだろう?
幼いころ、安井かずみさんがジュリーに、
有馬三恵子さんがシンシアに書かれた詩に、漢字と日本語を習い、
(小学校の国語よりタメになった気がする)
山上路夫さんや阿久悠さんの詩に大衆性は感じたけれど、
ときめきはあまり感じなかった。そのときめきへの渇望は、
思春期以降、松本隆さんや吉田美奈子さんの詩で満たしてきた。


音楽はダウンロードで購入、歌詩はPDF添付。
開いてみると、味気ない書体で言葉が並んでいて、
そこにはデザインもアートもない!
なんて事にはならないだろうな。


中学2年のときだったと思う。
牧場の牛がビジュアルの不思議なジャケットのLPレコードを
友人が学校に持って来た。
ピンク・フロイド『原子心母(Atomic Heart)』だった。
これが、私とヒプノシスとの出会いだった。


その後、YMOを通じ奥村靭正さんに出会ったり、
ユーミンを通じてヒプノシスに再会したり、
コンテンポラリーの進藤三雄さんを知ったり、
立花ハジメさん、井上嗣也さん、サイトウマコトさん…、
グラフィック・デザイナーの大御所の方々とは
皆レコード・ジャケットが初対面だった気がする。
この方々が作り出すジャケット・アートは、音楽をより魅力的にした。


音楽って聴覚だけじゃないと思う。
ジャケットで刺激される視覚。それから昔の輸入盤等で顕著だった
あのビニール袋やレコードそのものから感じる匂い。
それらすべての総合芸術なんだ。
(大量生産、大量流通が前提の「POPアート」ですけどね)


アナログ・レコードからCDにメディア・チェンジして、
アートの絶対面積が減少した。視覚の刺激法が変わった。


こんど配信の時代になって、アートの役割がますます減少するようだと
ちょっとイヤかなり淋しい。