ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

大貫妙子の遠近法。

tinpan19732006-04-26

そういえば2月1日には、
山下達郎さんの雨の歌には名曲が多い
と記したことがあった。
http://blogs.yahoo.co.jp/tinpan1973/25261384.html

昨日の
大貫妙子さんの旅の歌には名曲が多い
理由を今日は書いてみよう。


日常への距離感、
これが上手いのだと思う。大貫さんは。
旅=非日常、「ハレ」と「ケ」でいうところの「ハレ」なんだけれど、
「ケ」に近いところで「ハレ」を描く能力に長けているのだと思う。


シュガー・ベイブ時代の作品「蜃気楼の街」は、
東京(杉並区)に生まれ育った彼女の脱出願望なるものが
消化された作品。内側から外へと広がる視点で描かれている。


94年「美しい人よ」は、当時
アフリカもガラパゴスも南極も旅していた彼女が、
辺境の厳しさを知っている彼女が、
文明の中での旅=移動行為を
優しい視点で描いた作品という気がする。


自然の大きさを知る人ほど、気候の微妙な変化にも敏感というか、
独特なデリカシーで詩作化できるのではないだろうか?


ロード・ムービーならぬ、ロード・ミュージック、
いつも途中、パッセージ、オン・ザ・ウェイ、そしてサイドウェイ…。
僕が大貫さんの楽曲に求めているのは、
そんな途上感・至らなさ、「変わりたい。でも変わりきれない」
その辺りのニュアンスなのだと思う。


そういう欲求が近作で満たされているかどうか
は、また次の機会に記すことにしよう。