ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

ヨーロッパは、この坂の上で生まれた。

tinpan19732006-03-30

ティン・パン・アレーは、
N.Y.マンハッタン28番通りの名称である。
1800年代後半からブロードウェイ・ミュージカル
の音楽に関係する会社が、この通り沿いに立ち
並び始め、鍋や釜などを叩いているような音が
あふれていたため、この名称(Tin Pan Alley
=錫鍋通り?)が付いたそうだ。ガーシュウィン
も、キャロル・キングも、バリー・マンも、
この通りから巣立っていかれたらしい。


ティン・パン・アレーは、通りの名前。
この通りの名前が、日本では70年代後半、
細野・林・鈴木・松任谷の4氏プラスその周辺の
楽家たちの総称となった。


Weblogも開設して、そろそろ半年。新しい切り口として
「ニッポンの、TOKYOの、ティン・パン・アレーを探して、
 取り上げていこう」
と思います。何を言っているかわからないと思いますが、要は
ティン・パン・アレー系の音楽ゆかりの土地や通りを、
 エピソードを交えて紹介していこう」という試みです。


ちょうど季節は春。
♪虚ろな風に身を任せ流れるまま 
 ひとつ零れ落ちた心の欠片を探しに行こう
というカンジでしょうか(大貫妙子「蜃気楼の街」)。
心の欠片でなく、偉大な音楽の欠片ですけれど。探しに行くのは…。


第一回は、その大貫さんにちなんで、渋谷・宮益坂
『Romantique』や『Aventure』『Cliche』の頃、ヴォーカル録りは、
渋谷・宮益坂の上に当時在ったRVCビルのスタジオで行われたらしい。
先日、当時スタッフであられた方に教えていただいた。
あのクリエイティビティあふれるヨーロッパ三部作は、
この坂の上から生まれたのだ。


渋谷には音楽があふれている。
渋谷駅北口を新宿方向を向いて左に出て、道玄坂を上ると、
はっぴいえんど「12月の雨の日」の鈴木茂氏のイントロ・ギターが
頭をよぎる ということは以前書いた気がする。
http://blogs.yahoo.co.jp/tinpan1973/18862131.html?p=4&pm=l&t=1

右に出て、宮益坂を上ると、
「若き日の望楼」の坂本龍一氏のあのピアノがこれから
聴こえてきそうだ。 気分によっては、「CARNAVAL」のシンセサイザー
の音かも知れない。 晴れやかなキモチのときは「色彩都市」だろう。


以上、〔ティン・パン・アレーを訪ねて〕第1回は大貫妙子さんでした。
ちょうど今日、J-WAVEの大貫さんのラジオ番組が最終回だそうで、
今聴きながら書いています。半年間放送されたのに、聴けたのは年末の
教授がゲストの回と今回のみ。情けない!そしてザンネン!