ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

50年代のボサノヴァ。70年代のニュー・ミュージック。

tinpan19732007-08-09

理由あって、しばらく映画館から
距離を置いているのだが、
久々に映画館に行きたいな
と思わせる映画がある。


『ディス・イズ・ボサノヴァ』。
ボサノヴァの歴史を振り返るドキュメンタリー映画だ。
現在、東京と大阪の単館上映、順次全国に展開していくらしい。


1950年代末、政治・経済が安定し、サッカーW杯優勝などで
活気づいていたブラジル。そんな時代に、海岸に集った中産階級の若者たちから
生まれた音楽、ボサノヴァ。「新しい潮流」の意味だそうだ。
(フランス語で言うと「ヌーヴェル・ヴァーグ」だと思う。たぶん)


アントニオ・カルロス・ジョビンジョアン・ジルベルトらも登場。
豊富な資料映像やインタビューによって、ボサノヴァが生まれ育つ過程が
描かれていくそうだ。


ボサノヴァのささやくような歌唱法は、
中産階級の住む都会の住宅事情による。
隣からうるさいと言われ、歌声が小さくなった。
サンバが郊外に住む労働者階級に好まれたのは、
大騒ぎできる環境だったから…。
とか、面白いエピソードも目白押しらしい。


何年か前に(たぶん00年代前半)、渋谷Bunkamura
グレタ・ガルポのドキュメンタリー映画を観た。
それも、資料映像やインタビューが豊富で、
バート・バカラックが登場したときはビックリした。うれしかった。
(曖昧な記憶なのだが)終戦直前の中東慰安ツアーのようなLiveで、
バカラックガルボのバック・バンドに参加したらしい
という事実を知って、さらに驚いた覚えがある。


何かで読んだり人から聞いたりして知ったことを、
映画やテレビのドキュメンタリーを通じて再認識・再確認する。
なんか、そういう行為を、無性に今、行いたいようだ。
ある種“子供のころの夏休み”的な行為だと思う。
そんな気分に浸りたいのかも知れない。


ところで、細野晴臣氏周辺のティン・パン・アレー的音楽も、
「都市の中産階級の若者たち」の音楽ですよね。70年代の、ニッポンの。


そういう意味では当時流行した“ニュー・ミュージック”という言葉は、
かなり的を得ていたのかも知れない。


細野さん、林立夫さん、鈴木茂さんは、たしか10代の頃からのバンド仲間。
細野さんが高橋ユキヒロさんと初めて言葉を交わしたのは軽井沢のパーティ、
松本隆さんが細野さんに会ったのは、大学に入る直前、原宿の喫茶店だそうだし、
ユーミンさんが高校生のときユキヒロさんと同じバンドを組んでいたらしい。
立教や慶応等私立の、裕福な家庭で育った子どもたちから生まれた音楽である
ということは紛れもない事実であろう。


感受性には、経済力が必要なのだと思う。