ティン・パン・アレーのSIDEWAYS

季節が流れていく。音楽が聴こえてくる。

強かさと温かさと~山下達郎withコロナ~

山下達郎ライブの動画配信が昨夜、行われたそうで、

友人、知人、ネットでの評判はすごぶる良好のようだ。

 

私は事前にざっと内容を調べ、今回は見送ることにした。

最後のオマケ、1986年「So much in love」と「プラスチック・ラブ」は

想像していなかったので(甘かった)、ちょっと後悔しているが…。

 

今回見逃し配信は無し。

映画館や家庭でライブ映像を観ることはできても、

パッケージ化し発売して「いつでも、どこでも」は絶対にしない。

一期一会のライヴの根源的価値は損なわない範囲内で、

音質や安全に最大限配慮してライブの魅力を発信する様は、

アルチザンとしてはもちろん、ビジネスマンとしても秀でている。

 

1980年「ライド・オン・タイム」でのブレイク以来、

40年、第一線に鎮座しつづける山下達郎氏。

ビジネスマンとして相当したたかだなと、ここ30年ぐらい

ずっと私は思っていた。

 

これは褒め言葉でもあり、ユーミンにせよ、タツローにせよ、

前例のない生き方をしているわけで、

服部良一さんや、今の朝ドラの主人公とは、やっぱり違うと思う)

思春期に好きで始めた音楽を職業にして、

生活に、人生に、どう位置づけて行くかは、

我々ファンが思う以上に切実な問題であることだろう。

 

一方で…、ここ数ヶ月、

コロナがあり、radicoもあって、私は

「サンデー・ソング・ブック」をほぼ欠かさず聴いている。

90年代は良く聴いたが、00年代、10年代と時代が進むにすれ疎遠になっていた。

 

コロナのせいで、やはり家にいる時間が増えたのが大きいだろう。

こうした時の達郎さんのコメント、

それからファンから寄せられるメッセージ、

すべてが温かい。心に沁みる。

前例のない事態に直面し不安な気持ちと、

ニュースやワイドショーでおかしくなりそうな気持ちを鎮めてくれる。

 

名曲「蒼茫」の世界。

”普通であることの偉大さ”

”市井の素晴らしさ”

を感じ、気持ちのバランスが取れる。明日へのエネルギーになる。

 

ずっと自らのライブ音源も流してくれた。

蔵出しモノもたくさん…。

 

①人を慮る気持が、人並外れて大きいのだろう。

②自分はどう生き、何をすべきか、を考えた絶対量が人に比べて多いのだろう。

 

以上、

楽家としての力量以外に、

山下達郎山下達郎であり続けられる理由。

 

ようやく梅雨明けが見えてきた日に、

コロナがまた凄い数字を示しそうな日に、

私が考えたこと。

 

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そして今は来た〜40周年の朝に思ったこと4点〜

大貫妙子『ROMANTIQUE』発売40周年当日の朝に、思ったこと4点。

 

①秋の発売だと思っていた。

このアルバムを初めて聴いたのが、発売された1980年の秋だった。

当時私は高校2年生、友人が録音してくれたカセットテープを聴いたのが、

秋の曇天で雨が少し降っていた日。

圧倒的に秋、曇りや雨が似合うアルバムだと思う。

自分が聴くのも、このシチュエーションが多い。

「7月21日発売だったとは?」40年目にして新たな驚きが…。

 

今年、梅雨が長いのは、このアルバムの40回目のメモリアル・イヤーだからでは?

前向きに言えば、これで、太平洋高気圧も心置きなく勢力拡大できるのでは?

 

 

②2014年の大貫妙子40周年コンサート

2014年、東京国際フォーラムでの大貫妙子音楽活動40周年コンサート。

細野、林、鈴木、松任谷がゲスト出演したライブ。

オープニングがこのアルバムの一曲目「CARNAVAL」で、

アンコール1曲目がこのアルバムの最後「蜃気楼の街」だった。

(アンコール2曲目、最後は「突然の贈りもの」だったが、これはある意味当然)

 

「CARNAVAL」で始まり、「蜃気楼の街」で終わる。

名盤『ROMANTIQUE』と同じ流れ。大貫妙子のキャリアを凝縮しているのだと思う。

アルバムでは、パリに、グリニッジビレッジに、ハリウッドに、キエフに、バレンシア…を

旅して、最後シュガーベイブ時代に描いた東京に戻った。

キャリアでは、街へ、都会へ、色彩都市へ、dreamlandへ、さまざまな土地や音楽を

旅して、最後、蜃気楼の街に戻った。

 

 

③大貫さんの文字

ツイッター#ROMANTIQUE40thで、プロデューサー牧村憲一氏が、

「若き日の望楼」の本人直筆の歌詩を公開してくださった。

大貫さんの字、想像と違った。もっと涼やかな字を書かれる方だと思った。

私の中では、かなり暑苦しい、そうだな、こういう字を書くコピーライターは多い、

そんな印象。そのギャップが魅力であり、クリエイティビティなのだろう。

 

あと、原稿用紙「air」レーベルのものなのですね。

この時点では「ディアハート」レーベル、まだなかったのかな?

 

 

④そして今は来た

「若き日の望楼」、21世紀になってからのライブでも時々歌われるが、

大貫さん「そして今は来た」のところ「そして今来たの」と歌うようになった。

ここは、この曲大好きな私としては、オリジナル通り

「そして今は来た」と歌ってほしい。その方が文語っぽく響いて好きだ。

(意味としては「そして今来たの」が正しいのだろうけど)

 

2010年、教授との『UTAU』ツアー、最後の北海道公演のアンコールだけで歌われ、

当時U Streamで配信され、私は忘年会で聴くことができなかった「若き日の望楼」。

あの時は、「そして今来たの」と歌ったんだろうな。きっと。

坂本龍一のイントロのピアノは、オリジナルと同じフレーズを奏でたのだろうか?

同じだったら、私の涙腺は崩壊していたことだろう。

 

 

『ROMANTIQUE』40周年、おめでとうございます。

この名盤を世に送り出した皆々様の能力と情熱に、心から敬意を表します。

これからも、ますますの、ご活躍を!

 

私は、そうだな。次は50周年で思ったことを5つ書き綴れるようにしたいと思います。

 

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この曲とこの道あの店西麻布

 
あの頃の想い上書き西麻布
美化し補正し私遺産
 
呑んでいい気持ちになって、
電車はまだあり西麻布から表参道まで
ほろ酔いで、いつものようにこんな気分の時は
大貫妙子「若き日の望楼」を
口ずさみながら歩く道。
♪あの頃朝まで熱くパンとワインで私たちは語った〜
その道すがらにある、あのお店の、
数年前に店は閉めてしまったけれど、
看板だけはずっと残っていた。
高くて買い手がつかないという話も
ごもっともと思い、今日も大貫妙子を口ずさみながら
店の前を通ると…。
店の名を記す看板が無くなっていた。
いろいろ建物の外観が変化していた。
とりあえずスマホに収めた。
これから、何らかの開発が行われる気配が…。
時よ、どんどん流れればいい。
流れれは流れるほど、
僕たちのあの時はますます美しく麗しく
刻まれるのだ。
想い出の特権というヤツだ。
シェイクスビアも、バルザックも、ヘミングウェイも、村上春樹も、
肯定してくれるはす。
 
大貫妙子『Romantique』が発売40周年をこの7月21日に迎えられるそうで。
おめでとうございます!
#ROMANTIQUE40th
なるハッシュタグTwitterにあることを知った日、
いつものように西麻布から表参道を、このアルバムの中の一曲を
口ずさみながら歩いたのでした。この20年ぐらいの私のルーティン。
 
その日Facebookに記した文を、ここにも記して、
一ファンからのお祝いとさせていただきます。

甦る奇蹟と、奇跡の向こう側。

NHK「みんなでエール」を見て、久々に記す。

 

やさしさに包まれたなら」はいい曲だった。好きな曲だった。

 

ただ、私が、ユーミンのライブに通った10代後半から20代半ば、

80年代始めから終わりにかけて、

この曲をライブで聴くことはほとんどなかった。

セカンド・シングル、荒井時代の名曲だが過去の曲という扱いだったと思う。

 

ざっと記憶しているだけでも1979年「マジカル・パンプキン」ツアーを最後に、

1988年「ディライト・スライト・ライト・キッス」ツアーまで、

この曲がツアーのセットリストに登場することはなかったと思う。

 

久々に歌われたのは、1989年「ラブ・ウォーズ」ツアー。

(念のため過去のツアーを総括した昨年のベスト・アルバム・ツアーのパンフで調べた)

当時、宮崎映画「魔女の宅急便」の主題歌か挿入歌に使われた関係で、

久々にセットリスト入りした。

 

この曲が、ここまでメジャーになったのは、この宮崎アニメに使われたことが大きいと思う。

ちなみに「ひこうき雲」にも、同じことが言えると思う。

 

僕にとっては、「やさしさに包まれたなら」は不二家のCM曲。

この曲を聴くと、70年代半ばの日曜日の朝を思い出す。

ニッポン放送不二家・歌謡ベストテン」で、必ず流れていた。

DJだったロイ・ジェームズさんの声とともに、あの頃が甦る。

 

(この曲の次のCMソング、

 ♪ソフトエクレア 風のセロファンで 包んだ綿雲なの

  ほっぺたにプレゼント 不二家ソフト ソフトエクレア

 これも楽曲化してほしい。

 まだ荒削りだが、メロディーやコード進行に、

 作為でない天才を感じさせたユーミンを堪能できる曲)

 

それから、番組「みんなにエール」についてもひと言。

武部さんの発案、松任谷正隆さんに話をして、縁あるミュージシャンに呼びかけ、

皆で歌った様子はとても良い映像になっている。ジ~ンとする。

 

ただ、アナザーサイド。NHK側にどう話を持って行って、どんなやりとりがあって、

このアウトプットになったのか? 妥協した部分、ボツになった部分、

奇跡の向こう側をチラ見させてくれるのも、美談の向こうのリアルをある程度提示してくれるのも、

ウイズ・コロナ時代のエール」の正しい在り方では?

と思ったりした。

 

 

15番目の月、16番目の月。

ALFA MUSIC LIVE。
満月の夜と、次の日の夜に行われたわけだ。

“次の夜から欠ける満月より”
14番目の月が好きだと、清元の歌詞のように歌いアルファを去ったユーミンも、
吉田美奈子も、細野晴臣も、林立夫も、鈴木茂も、松任谷正隆も、高橋幸宏も、いた。
山本潤子さんはどうしたのだろう?
ポンタの登場の仕方はカッコ良かった。
教授は無理だったけど、坂本美雨がいい挨拶をした。
他にも林立夫小坂忠大村憲司のジュニアが登場。親と同じパートを味わい深くプレイした。
村井邦彦氏の古希を祝うという、ただの同窓会的な集まりでなく、
この若人たちのプレイが未来を感じさせた。アルファらしかった。
(敬称略)

新と旧の集い方のひとつの在り方を提示してくれた。
総合演出・松任谷正隆氏のらしさが出ていた気がする。
セット替えをするのに緞帳を下ろし、その前にMCがつなぐという手法も
オーソドックスなんだけれど気が利いていると思った。

このライブは渋谷でやるべきなんだと思った。
パルコ劇場がまだあれば、そこでやったのかな?
よくアルファのライブをやっていたはず。緊張のあまり最初から泣き通しだったという
荒井由実のデビュー・ライブもパルコ劇場でのアルファのライブだったはず。
西武(セゾン)から東急へ。それも必然。
先行予約が流れ、その後の抽選外れまくったけれど、なぜかこのライブ、
ゼッタイ観られると思っていた。
僕のセレンディピティ

さて今日は、満月から一夜経った大きな月を眺めながら帰るとしよう。
ピークは過ぎたかも知れないけれど、また新しいピークを違う方法論で作り出しそうな面々の
パワーを、たくさんいただいたことに感謝して。

※久々に書くと、なかなか思いがうまくまとまりませんね。

当日券入手。

今朝、あるランニング練習会に参加。
体調優れず、たぶん一昨日の深夜までの撮影の影響では。
10kmちょっとで上がり帰宅。とにかく身体を休めよう。
シャワーを浴び、横になる前カレンダーに目が行く。
9月最終日曜日。今日は確か
ALFA MUSIC LIVE。
一縷の望みでウェブサイトをチェック。

当日券、若干有り
とのこと。ひと眠りして体調回復していれば行ってみよう。
どうせ家からオーチャードホールなら30分もかからない。

このライブ、先行予約に当たったのに、
チケット引き取り期限が7月三連休と重なり気づかす、流してしまった。
以降何度かの抽選は外れ続け、
一般発売をコンビニ店頭で待つというトライもしてみたが駄目。
同じように外れ続けた、東京を離れた風街の人・松本隆
45周年武道館はあっさり諦められたか、
このライブは…。

16時40分ごろオーチャードホールに着き、当日券売り場、
10人目ぐらいに並ぶ。
チケットありますように…。
17時を過ぎ発売開始。僕の番。
やつた! 1階13列…。

という久々の書き込みを、スマホから。
そろそろ開演なのでこの辺りで。
続きは余裕があればPCから。
楽しんできます!

夢は叶い、旅は続く。

tinpan19732013-01-03

12月に引っ越して、人生でいちばん忙しい師走を過ごし、
想定外の人の死という悲しみを経験した。
何とか引越し先でネットも開通したので久々に記そう。
ユーミンの40周年絡みのいろんなトピックがあったことだし。


11月30日金曜日NHK『SONGS』。
キャラメル・ママ(細野さん含む)とセッションして「ひこうき雲」を
歌った。ビデオを撮って夜中に観たのが精一杯。
「あれ? キー低くない?」感想といえばこれぐらい。
感慨に浸る余裕がなかった。観終わってすぐ寝た。
11月25日日曜日に大阪マラソンを走り、二日後に何とか胃腸炎で倒れ
生涯初の点滴をし、でも仕事は休めず…。最悪の体調で一週間を過ごした
金曜日の夜の出来事だった。


12月11日火曜日、人見記念講堂withプロコル・ハルムLive。
仕事をすべて放り出して向かった。
席は何と…、一列目だった! 
「どうせ、また1列目じゃなくI列目の間違いだろう」と思っていたら、
違った! 隣で観ていらした方はたぶん…(確信じゃないので記しません)。
Liveはスバラシかった!
やるだろうと思っていたプロコル・ハルム色の強い曲はほとんど演ってくれた。
(しいて挙げれば「もう愛は始まらない」も演ればいいのにと思った)

何がスバラシイって、ユーミンはMCがサイコーだ。
客に媚びたり強がったり挑発したりすることしかできない他の音楽家とは
レヴェルが違う。違い過ぎる。


このプロコル・ハルムとの40周年プロジェクトへの
当初の違和感もはっきり口にしてくれた。
私自身、ユーミンがプロコル・ハルムと「青い影」をセッションして
ベスト・アルバムに収録するらしい。コンサートもやるらしい
との情報を目にして、「なんで、今さら…?」とかなりの疑問を感じた。
だって、プロコル・ハルムって、たしかもうオリジナル・メンバーは一人で、
昔の名前で出ています”状態では…?
せっかくの40周年、ほかにやることあるのでは…・


「憧れの音楽家が、今なお現役でいてくれることは、
 それだけで元気づけられる。
 私も、皆さんに、そう思ってもらえるならば…、
 がんばってもっと続けていけると思う」
コンサート最後のMCでたしかこんなことをおっしゃった。
スバラシすぎる! WOWOWさん、このLiveをオンエアするとき、
このMCをカットしないでくださいね。オンエアの3月末まで解約しないから…。


そして、今日、2013年1月3日、日本武道館
キャラメル・ママユーミンの共演。
細野・林・鈴木・松任谷とのライヴ共演という意味ではいつ以来だろう?
結婚直前1976年11月NHKホールでの“14番目の月”リサイタル以来か?
(たしか「リサイタル」という言い方だったはず。時代を感じる)


キャラメル・ママユーミンの共演ということで、とにかく先行予約した。
寺岡呼人さんとか、Golden circleとかよく調べもしなかった。
大貫さんや薬師丸さんやいろいろゲストが出るオムニバス方式、
お祭り形式のコンサートらしいから、きっとその目玉として数曲演奏
という流れなんだろうな…。と思っていたら、その通りだった。
計4曲。時間にして30分弱。
私にとって三十年来の夢が現実になった時間。


ずーっと涙が流れていて、一曲一曲いや一音一音を味わうことが出来なかった。
まぎれもなくキャラメル・ママの4人がいて、パーカッションのノブさんもいて、
そしてユーミンがいる。
頭が空っぽになった。あっという間に終わってしまった。


以下、密かに期待していたこと。


アンコールで、
大貫妙子山下達郎吉田美奈子コーラスで何か一曲、
やってほしかった。
大貫さんは今日のゲストだったし、
吉田さんとは一昨年の鎌倉での吉田美奈子ライブにユーミンが訪れ、
ユーミンの曲をカヴァーしたという流れがあったし、
山下さんを呼ぶのがいちばん難しそうだったけれど、
40周年、新春初夢ということで…。


そんなに世の中甘くなかった。
これは50周年にでも期待することにしよう。


2013年1月3日、とりあえず忘れないだろう。
鈴木茂松原正樹というゼイタクな共演も、
アンコールで一曲聴けたことだし…。
大貫妙子「雨の街を」という意外だけれどもの凄くハマったカヴァーも
聴けたことだし…。


今日も最後、ユーミンはいいこと言ってたな。
「まだ旅の途中でしょ。皆さんも…」
WOWOWさん(やるんでしょ。きっと)、ライヴのオンエア時、
ここカットしないでくださいね。